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シンデレラロード

やっと今日が終わった
恐らく、今日という日は俺の人生の中でも1.2を争うほど、長くて辛いものだったのだろう
…そうでも思わないと、これから先、生きていく自信がない

 「ふぅ…」
我が家気分の事務所に戻り、ソファーに座りため息
芸能界ではロングタイムと呼ばれている、某大御所達御用達のアイドル番組のオーディションに勝利した俺は 半ば有頂天気味になりながら、勝利のウーロン茶を飲み干す
 「んまい!もう一杯!」
どこかで聞いたネタを口走り、俺はもう一度ため息を吐く

それは一目見れば誰もがわかる事だった
”あのアイドルはもう長くない”
あともう一歩、もう一歩だけ先に進めば、トップアイドルとして認められる
だが、その一歩はとても現実的で
数学がまるでダメな俺の頭でも、すぐに計算出来てしまうほど、絶望的な一歩だった
 「はぁ…」
俺は三度目のため息を吐く
思えばここ最近、5分間に一度はため息を吐いている気がする

 「こら下僕!」
いつの間にか、そいつがいた
 「ん…帰ったんじゃないのか?」
俺は、なるべくいつも通りに、と自分に言い聞かせながら顔を上げる
だが、俺の顔を見た途端、そいつはまるで俺の心を見透かしたのか、敗者を見るような悲しみに満ちた表情になる
 「帰る前に文句言いに来たのよ」
そういうと、そいつはいつもの憎たらしい言い方で俺を見下した
だがその態度には違和感がある

 「今日のオーディション、どういうつもりよ
  あんた…負けるつもりだったでしょ」
意外だった
確かに勝つとは思っていなかった、それでもいつも通りの指示を出し、いつも通りに勝利出来た
プレッシャーがあまりなかった事もあって、今日の俺は完璧だったはずだ
 「いや、実にいつも通りだったが?」
俺は、なるべくいつも通りに、と自分に言い聞かせ、平然と嘘を吐く
自分が演技下手だとわかっても、こいつにだけは弱気なところは見せたくない
それは俺という女の腐ったような男の、薄っぺらなプライドと、そして精一杯の強がりだったのだろう
そしていつも通り、俺がなけなしの演技力で作った、なけなしの余裕を見せると
そいつは俺を圧倒する観察力で、軽々と見抜いてくれる
 「嘘、つくんじゃないわよ…」
いつもなら、ここで手や足の一つでも飛んでくるところだった
だが今日は飛んでこない
 「嘘くらい、もっと上手く吐きなさいよねぇ…   なんで、なんで…」
あー、泣かしてしまった
こうなると、俺は何も出来なくなってしまう
女の腐ったような男とか、そんな言い訳じみたものではなく、本当に何も言い出せなくなってしまうのだ
こいつもそれを知っているのか、すぐに沈黙を破ってくれた
 「…社長から全部聞いてるわよ
  リミットなんてのがある事も、失敗したら引退だって事も
  ……私が、引退準備に入ってる事も」
 「………」
 「この私があんたの敗因を教えてあげるわ
  あんた!いっつも一人で戦ってるのよ!
  レッスンもオーディションも、自分が上手く自分が上手くばっかりじゃないのよ
  何?あんたが上手くやればトップアイドルになれるとでも思った?
  ふっざけるんじゃないわよッ!!」
伊織が手を上げる、きっと俺に一打くわえるつもりだろう
そして俺はそれを素直に受けないといけない、そしてその一打の意味を一生かけて理解していかないといけない

思えば、この水瀬伊織は素晴らしいアイドルだった
声、歌唱力、腹式、リズム感、運動神経、表現力
どれをとっても、俺が今まで見てきたアイドルでは到底追い抜く事が出来ない
そんな、神々しさにも満ちた素質を持っていた
声を出せば誰もが聞き入り、ステップを踏めば誰もが見入り、ひとたび演技をすれば誰もが夢中になる
そして、持ち前の裏腹な性格はファンの心を掴んで放さない
俺の出る隙がない
水瀬伊織は、水瀬伊織だけで既に完結している、アイドルの完成体なのだ
だからこそ、凡人である俺はこいつに負けないように、必死に自分を高みへと持っていこうとした
だが所詮は俺、水瀬伊織のプロデューサーになるなど、初めからかなわぬ夢だったのだろう
行き着く先はいつも現実、この世には天国も地獄もない、あるのはただひたすら現実なのだ

くだらない思考をストップさせる
そして俺は目を開け、その一打が来るのを待った

それは痛みではなかった
癇癪を起こした子供のように、強く強く、不器用に俺を抱きしめる
初めて見る水瀬伊織だった
 「なんで、なんで…もっと私を信じないの?
  あんたはいつも自分だけで頑張って、そんなんじゃ…私、辛い…」
伊織が弱気な言葉を発するたびに、抱きしめる腕に込められた力が少しずつ増していく
まるで小動物のような、こんなにも小さな伊織を見るのは初めてだった
 「あんた、全然気付いてくれないから…特別に教えてあげる
  ……私だって自信なんかないわよ
  周りの人間はみんな私の事誉めてくれる、私だって少しは上手いんだなぁって思ってる
  でも、もしかしたら私より凄く上手い奴がいるかも知れない、
もしかしたら私より上手いのが当たり前かも知れないって
  そう考えると、不安が止まらないのよ…
  …わかる?私がいつも言ってるのは強がりなのよ、あーやって自分に言い聞かせないと…自信持てないの…
  それなのに…あんたまで、私の事信じてくれなかったら…っ……私、勝てなくなっちゃうじゃない…」
そう言うと、伊織はいっそう強く俺を抱きしめる

すべては罪悪感だった
一時期は伊織に最も近い存在だ、とまで思い上がっていたのに
結局は伊織の事を何一つ理解出来ていない、この一瞬前まで全く気付かなかった
伊織の口から発せられて、痛いくらいわかった
俺は、人間として駄目なのだろう…
俺が心の中で弱気な台詞を口ずさむと、伊織はすぐに見抜いてくれる
そして俺を叱ってくれる、だが今日はやはり、違った
 「トップアイドルになれないのはあんたが悪い
  でも、そんな事はどうでもいいのよ
  多分…私がアイドルでいられる時間は、あとほんの少しだけど…
  私とあんたが本気になったら、もう少しくらい上に行けるはずよ
  だから…最後まで諦めないで、私の事…ちゃんと信じてね…」
それは優しく、傷つけないようにどこまでも優しく、そして伊織らしさが詰まった言葉だった

その後、俺と伊織は幾度となく互いに謝罪しあい
お互いのすれ違いや思いを遠慮なく吐き出した
今やっと、伊織のプロデューサーになれた、本当のプロデュースはここからなのだ
 「今日、これから始まる、私の伝説〜」
伊織は懐かしい曲を口ずさむ、その顔には自信に溢れている
もう迷わない、俺達は絆を取り戻したのだから

 もう伏目がちな昨日なんていらない
 今日 これから始まる私の伝説

   THE iDOLM@STER
            シンデレラロード


「シンデレラロード」
作 : 名無しPさん
出 : SSとか妄想とかを書き綴るスレ

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